金のピカピカ

トロフィーという言葉を見て、真っ先に想像するのは「優勝」や「輝かしき栄光」とかそういったものだと思う。
少なくとも、私はトロフィーを見てそんな風に思う。
私には無縁の物だと、思っていた。
何せ私は筋金入りの運動音痴。
逆上がりはいつまで経っても出来なかったし、跳び箱だって飛べなかったし、逆立ちも壁に向かってでなければ大きな音を経てて転倒する有様。
バスケットボールではドリブルすら出来ないし、バレーボールでは顔でボールをブロックする始末。
もちろん、縄跳びなんて躓いて引っかかっての連続で、リズム良く飛ぶなんて夢のまた夢。
勉強だって苦手で、特に大嫌いな算数や数学、英語ではアヒルのお池も良い所だ。
もし、子供が出来て「お母さんの通知表(テストの点数)を見せて」と言われたら、どうどうと見せる事は決して出来ないだろう。
もちろん、そんな物はさっさと焼却処分してしまったが…………。
しかし、そんな運動できない、勉強できない私でもトロフィーをもらう機会があった。
それも当時習っていた剣道の試合で、である。
忘れもしない中学生の頃、出場した剣道の試合。
市で行われる小さな試合で、当然そんな規模なので、出場者も少ない。
更に女子の部は本当に少ない。
二回、三回勝つとトロフィーに手が届くという状態だった。
そして私は、二回勝ちトロフィーをもらう事が出来た。
優勝は逃したが準優勝だった。
金のピカピカのトロフィーで、軽いおもちゃのようなものだったが、とても嬉しかった。
トロフィーまではよかったのだが、この後、想像もしていなかった苦行が待ち受けていた。
その後発行された公報に、私の名前が載ってしまったのだ。
大した事など無いと思うかも知れないが、中学生という頃は変に多感な時期だ。
そんな時期に同級生の名前を見つけたらどうするか。
そう、私は数日間、ものすごくからかわれた。
本当にからかわれ続けた。
いじめではないと思うが、苦行と言って間違い無いと今でも思う。
そんなものだから、この生まれて初めてもらったトロフィーは、苦い思いと共にすぐさま箱に入れられ、押入れにしまわれる事となった。
もうあれから大分の時間が経った。
せっかくだから、たまには押入れから出して飾ってやろうかと言ったところ、母親がこう返した。
「いいかげんなアンタの事だから、金色でピカピカのトロフィーが埃だらけになるでしょ。
かわいそうじゃない。
箱に入れてしまっておきなさい」
いや、まあ、ごもっとも。
私のもらったトロフィーは、今でも箱にしまわれて家のどこかにある。